書き物 × 記憶其の三
幼稚園の頃の記憶はまだまだある。
幼稚園に通い始めた頃までは、中国語と日本語の両方を話せたそうだ。
しかし、幼稚園に通うようになり、日本語にふれる時間が自然と長くなり、
すこしづつと中国語はあまり話さないようになったらしい。
特に自分の中で意識して使い分けてた記憶はないから、自然とそうなったんだと思う。
確かある朝、両親から中国語で「おはよう」と言われた時、
それがどのような意味か一瞬だけ悩んだ記憶はある。
そして、それは「おはよう」という意味だったと思ったけど、
なぜ同じ「おはよう」という言葉が2つもあるのか分からなく、
やっぱり違う意味ではないのかと少しだけ考えたことを覚えている。
また、なぜこれまで普通に理解していた言葉が、
急にその意味を迷うようになったのかもわからず、
軽く脳内パニックになったことも覚えている。
これが人生で初めて言葉を意識した瞬間だったかな。
この頃の父は仕事で腰を悪くして、休みはよく家で突っ伏して横になっていた。
そして、近所の公園で友達と遊んでたことを覚えている。
幼稚園ながら、苗字が変わった友達や、他に名前が変わった友達がいたな。
引っ越ししたよく覚えてない女の子も。
次はそんな子供たちとの記憶。
ある日、幼稚園の子供たちと5~6人で公園で遊んでいた。
誰からだろうか、力比べで遊ぼうと言い出した。
ある男の子が当時のプラスチックベンチを持ち上げた。
そのベンチは背もたれのある一人で座るプラスチックスの椅子が金属のバーで2~3個つながったベンチで、
日焼けして色あせた水色とピンク色の椅子がそれぞれあったことを覚えている。
その子供は持ち上げてる途中で力尽き、ベンチは僕の頭に落ちてきた。
当たった。泣いた。そして頭から血が流れた。
友達たちは僕を家まで送って帰った。
親は大丈夫だよと言って僕の頭に包帯をぐるぐる巻きにし始めた、子供たちを帰した。
何が大丈夫なものか、まるでミイラだ、血は止まったのか。
病院はいかなくてよいのか、子供たちを怒らないのか。
なんて心の中で思ったけど、言葉にできるほど口達者じゃなく、ただがむしゃらに泣いた。
きっと親も困ってたことだ。色々と。