写真で綴る日常

写真で綴る日常

思いは言葉に。思い出は写真に。

2022年 × 1107 終わりの始まり

今日、はっきり告げた。

「離婚してください」

電話越しに発した言葉は、なるべく穏やかな感情を込めて伝えた。

 

いつかきっと、この選択を悔む日が来るかもしれない。

そんな時が来た際は、この文章を見て、この時の選択が間違っていなかった、

間違っていたのはその後の過ごし方だと思えるように、書き記したい。

 

出会ってから10年半。

初めて離婚を思ったのは、いつのことだろうか。

きっと子供がまだ2歳にも満たない時だったかと思う。

 

お嬢様育ちだった君と結婚し、

何もない僕が全ての世話をしてあげることは当たり前だと思ってた、

一緒に暮らし、水を触らせないように心がけた。皿洗い、洗濯、ご飯作り。

手が老けるのは早くなるから。君にそんな思いをさせたくない。

この土地で何もできない君の面倒を全て見てあげることは当たり前だと思ってた。

風邪やのどの痛み、休みを取って、全て一緒に病院に行った。不安なんていらないよ。

車も運転できない君に、僕が全て付き添うのが当たり前だと思っていた。

仕事帰りの日課は、近所のスーパーへ通ってからの夕食作りだった。

稀に残業した日は、君はおなかをすかせて待っていた。

残業なんて心穏やかにできるものじゃなかった。

 

いつしか子供が生まれた。

妊娠初期は海外で過ごしていたっけ。

曖昧だった記憶はこうやって書き記すと少しづつ風景となって思い出す。

生まれて間もないころ、君の母親が半年ほど同棲して一緒に子供の面倒を見たっけ。

何もできない君を手伝う母親は大変そうだった。

君の母親に楽させたかったけど、仕事から帰る頃はご飯も用意されていて、

僕の出番はあまりなかった。

遠くに連れて行きたかったけど、君の体を養う習わしで、それはかなわなかった。

思い出すと、君の母親には感謝しかない。

 

覚えてるかな?この時僕が君の母親の前で言った、

母親には大変な思いをさせているけど、

多分今が人生で二度とない一番幸せな時間という言葉。

だからすごく大切に過ごしていると。それでも過ぎてく時間が本当に惜しい。

事実、思い返しても、君との生活はこの時がピークだったかもしれない。

 

それからビザが切れ、二人の生活がやってきた。

僕の母親も子育てに来ていたっけ?多分2ヶ月もなかったかな。

母親は耐えられなくて、戻ったんだっけ?あまり思い出せない。

子供の保育園も探し入れたんだっけ、どっちが先だったかな?あまり思い出せない。

あぁ、無職だと保育園に入れないから、個人事業主という申請をしたかな。

思うと君は結婚してからこれまで、まともに働いたことがなかったね。

そして多分二人の結婚生活は最初から破綻していた。

掌の玉だった君を、僕は特別扱いしすぎた。

夫婦という二人三脚は最初から僕たちの生活に存在しなかった。

今でも思う。僕は子供を二人養っていると。

 

決して遠くも近くもない保育園。毎日の送り迎えは僕だった。

あぁ、よく鼻水を流して、お迎えの連絡とかあったな。

仕事を休み、僕は度々一人で小児科に連れて行った。

思えばあの頃、君が子供を病院に連れて行ったことなんてあったかな。

ごめん、そんな記憶、全然思い出せない。

 

いつか、大きい喧嘩をしたよね?

あの時、僕は死にたかった。

死ぬつもりで壁に頭を思いっきりぶつけた。

その壁はコンクリートじゃなく、ベニヤ板だった。

頭は無事で、壁にだけ穴が開いた。

思い出の品で蓋をしたけど、その壁は今も穴が開いたまま。

君との結婚生活は、順風満帆とはいえるものでなかった。

「皿のここが汚れている。きちんと洗いなさい。」

「野菜を洗う時は、きちんと塩もみをしなさい。」

「持病のこれがあるから、これは食べられない。」

「甘い味付けは、好みかじゃない」

「子供にテレビを見させない」

「なく子供を黙らせなさい」

「あっちであそばせななさい」

「私が欲しいのは解決方法なんかじゃなくて、暖かい言葉」

「暖かい言葉なんてあっても何にも解決にならない」

僕が全てをやるのは当たり前、感謝の気持ちなんてこの人にはないんだなって思った。

君が不機嫌な時は、答えなんてなくて、君の気持ちが収まる迄は終わらなかった。

仕事のために早く寝ようとすると、君はさらに機嫌を悪くするから、いつしか2時間でも3時間でも君の怒りを相手するようになった。そういう時はタバコが必須だった。

そうだ。今でも君は人の気持ちがわからない人間だと思っている。

お嬢様育ちだから、「仕方がない」

いろんな感情を押し込んで、たまにはおどけて、なるべく君との喧嘩は避けてきた。

このころ、君は何をしてたっけ、そうだ、中国のお客さんから買って欲しい化粧品とかを頼まれて、僕が土日に連れてって購入し、送る。そんなよくわからない副業をやっていたっけ。月に数万円にも満たない金額で、僕の休み、僕らの意思疎通の時間は全くないほど削られた。そういえばあのお金も、家庭に入ることはなかったね。どうでもいいけど。

ある夜僕は言った。

「もっと二人の時間や、話をする時間が欲しい。」

「そんな時間はない、私は仕事を頑張っている、頑張らないとお金がない。」

(あぁ、これでも家賃は会社持ちの、さらに同年代より多い給料をもらっているんだけどな、日本では。君は外で働きたくない、働きたい仕事がないから。その気持ちを応援してるし、働くことによる無駄なストレスは与えたくない、お嬢様育ちだから。君の家庭と比べると、僕はわがままを言えるほどの収入は確かにない。だから我慢するしかないのかな、これからもずっと。全て君の気持ちを優先にして。)

この時、僕の中の何かの感情がストンと落ちた。物理的には存在しないはずなのに、まるで音が聞こえてくるよに、ストンと落ちた。

あぁ、僕はもうこの人に何も求めることができない。

すべての気持ちは自分の中で消化しないといけない。

この時、きっと子供は2歳にも満たなかったのかな。

子供を生きがいにして、これからは生きていこうと思った。

もう君には、何も求めない。心を交わすこともできない。

 

それでも君に負担をかけないように、上司や周りの視線を見えないものとして、

日々の残業をせずに、毎日早く帰宅した。今ではその上司は他の部署。

子供の迎えに間にわせるために、朝は時間が足りず、

いつも会社の他人の駐車位置に止めて、いつか怒られた。

 

土日は君一人の「仕事」の時間を作るために、

子供と二人で大型商業店や公園で二日間をつぶすのが週末の日課になっていた。

子供と一緒に過ごす時間は、大変だったけど、心を交わす日々に、その分愛情もどんどん膨れた。

 

それからどれくらいたったかな、君は中国へ 禅?神との修行?の旅行に行ったかな。

9日間ほどの旅行。その怪しげな旅行を僕は心配した。

君の母親に告げた、僕は心配だと。君の母親は言った。「心配ない」

旅行から戻ってきた君は、見えないものが見えるように、

聞こえない声が聞こえるようになっていた。

その時は、そういうこともあるのかと思った。

その9日間の子供の面倒は、もちろん僕が見た。

母親がいなくて泣く子供をあやかすのはもう普通のことになっていた。

それでも気持ちを穏やかにできるものではなかった。

夫として、父としての責任を全力で全うするために、日々をずっと過ごしてきた。

家庭が僕の全てだったから、笑顔で食卓を囲む日々が子供の頃からの夢の景色だったから。いつしかそんな日を迎えられるようにと。

 

暫くして、君は日常生活を送れない状態に陥った。

僕は泣いた。君のいない生活、母親のいない今後を思って、泣いた。

泣いた。泣いた。泣いた。

人はいつ死ぬかわからない、明日には地震や事故で亡くなっているかもしれない、

結婚初日からそんな思いを抱いて、日々を大事にしてきたから、僕は割となにがあっても後悔しないと思っていた。それでも、涙がとめどなくあふれてきた。

こんなの、さすがに想定していないよ。

人がそこにいるのに、心がいないなんて、神様は本当に意地悪と思った。

あぁそもそも無神論者か、僕は。

そして君の両親に向ける顔がないと思った。

 

僕の実家の両親が急いでやってきた。

それからは君を回復させるために、毎日病院に通った。

渋滞で片道1時間以上する距離を、一か月と少しかな、毎日僕は往復した。

いろんなことを調べた。薬のことも、身の回りで起きたことも。

君のスマホを見て、僕は愕然とした、こんな詐欺集団に君は騙されたのか。

憎かった、人の生活を平気で壊してくるやつらに。

自分の娘の思い通りにさせるために、

「心配ない」と軽々しく言った君の母親の心の内も透けたような気がした。

きっといつまでたっても、何が正しいかではなく、「娘」の希望が正しいということを

何かの大義名分にこじつけて、正当化していくんだろう、僕の確かな思いは通らない、今後も。事実、それからもそうだった。

僕はね、自分のためにを思って発言したことなんて何一つないんだよ!?

修行旅行の不安も、浮気とかそんなあほみたいな感情じゃなくて、本当に危ないと思ったからなんだよ?むしろね、浮気されて、離れてくれた方が僕は楽なんだよ!?

想いを伝えるときは、全てきちんと見据えて相手のことを思ってるんだよ!?

もう、大人だから。不安を人に吐露するなんて、よっぽどのことなんだよ?

理由も聞かずに「心配ない」そしてこの結果、ねぇ?あなたに何がわかるの?僕らの。

 

僕はそれから君にすべての言葉をかけ、必死にこの世界に連れ戻した。

一か月経ち、早めの退院で、やがて君の母親が再び手伝いにきた。

先生、あなたの処方では、きっと妻は壊れていくだけだった。

こんなに早く退院できなかったでしょう。妻を救い出したのは、間違いなく、

僕が妻をしっていたから、薬の副作用について、本当に時間をかけてい調べたから、

事実、直談判して減らした薬は、翌日から目に見えて妻の感覚を回復させた。

心の病を治せる人間は、一番その人をを知っている人間なんだよ?寄り添い方を知っている人間だけなんだよ?薬は人を治すけど、それは正しい処方の時だけ、間違った処方は人をぐちゃぐちゃにする。あの時のノートは今も残している。

 

あぁ、それから退院してすぐに、体の病気に奔走する日々だったね。

忙しい毎日だった。

あぁ、離婚したくても、もうできないな、とも少し思いがよぎった。

心を機械にして、よく仕事と両立した日々を過ごせたと思う。

いや、仕事はできてたのか?

ねぇ、感情が無くなっても、責任感だけでもここまで走ってきたんだよ?この世界で誰よりも君のことを知っているくらいに。

僕って、もっと君に大切にされてもいいんじゃないのかな。書きながらいま思った。

 

そして、色々あったとは思うが、やがて僕の両親がこちらに部屋を借りて

面倒を見てくれることになったかな。

約2年に満たない生活。一日中子供は毎日両親に預けっぱなしの日々だったね。

お家でパパママと寝れたことは何度あるんだろう。

というかその2年未満、子供をお家に連れてこれたのはどれくらいあったんだろう。

お家に帰る子供は、本当にいつも楽しそうだった。

数年間の中で、子供と寝れた日々なんて。

お家に帰ると、すごく喜んでいた子供の笑顔、

心からあふれて、体の内から発する子供の喜びと楽しみに満ちた感情。

思い出すだけで、この時間を永遠に守ってあげたいと思いながらも、

少し心がぎゅっと締め付けられるような。

パパは本当に君のことを心から守りたくて、愛しているんだよ。

悔しいよ。悔しいよ。悔しいよ。

 

僕は子供が不憫で、毎日通いたかった。せめて寂しい思いをさせないために、

愛されてると分かってもらうために。

子供はパパとママと過ごしたくて、日々悲しい気持ちを抱いてた。

夜別れるときは、必死に笑顔や口調を繕って何とか子供の気持ちをなだめた。

パパだって、連れて帰りたいよ。。。

僕は何もできない。この子供に何もしてあげれていない。

だから、必ず土日は一緒にどこかへ連れて行った。

残業はなるべくせずに、早く戻って子供に顔を見せたかった。

でも君は、それでも「仕事」の忙しさを理由に、僕を家にとどめては、

早くいくことを拒み続けたね。ご飯を待たせながら。

どうせ早くいけないし、と思って残業したら、その分さらに行く時間が遅くなったね。

君が「仕事」を頑張ってくれるから、君と過ごす時間があまりなく、会話を交わすこともあまりなく、気持ちはどんどん冷めていった。

 

気持ちはどんどん冷めていった。

だって、数年間、ねぇ、業務連絡以外の会話ってどれくらいだったかな?

旅行してもスマホ、仕事。カメラ、写真のことでの喧嘩。

ねぇ、君は本当に僕をみているの?大切っていうけど、君の心ってどこにあるの?

話しかけても返事のない日常、心の通わない日々と一緒に、

気持ちはどんどん冷めていった。

 

両親、子供とともにするいつもの夕食後、

室内で遊び途中に疲れて暫くうとうとしてしまう僕をみては、

「寝るな」という主旨の思いやりのない言葉を何度かかけられたね。

あぁ。人の疲れとかいたわることをこの人は永遠にできないんだろうな。と思った。

 

子供が僕の全てだから。子供に心血捧ぐ僕を見て、君は不満を感じていたね。

「たまには相手しなくてもいんじゃない?」

あぁ、いつかの週末三日間で旅行をしたかな。君と二人。

子供に顔を見せれなかった数日は、僕の中で少しの罪悪感を感じた。

きっとパパとママの顔が見れず、悲しむ姿が僕の目の前に浮かんだ。

子供よ、君は僕の人生の全てなんだよ。でも。ごめん。

ママの精神がまた病んだら、こんな日々すら続けられなくなる。

 

やがて、僕の両親の疲れがたまり、実家に戻ると、

君は子供を連れて行ってしまったね。

あぁ、話し合いの結果だけど、僕の本意じゃないよ。

君と僕大人二人で、子供一人の面倒は見れないことはわかっていたから、

感情のない笑顔で承諾した。何を言っても君は言い訳をして、

結局自分の思い通りに物事を進めることなんて知っていたから。

そして結局君の両親が出てくれば僕は何も言えない。

さらに、僕一人で「子供二人」の面倒は見れないこともわかっていたから。

君と子供が日本から離れることは、

僕の中で「離婚」という言葉をさらに具体的な姿にさせた。

君との暮らしの中で、

僕は自分の気持ちに蓋をすることは上手くなったんだよ?気づいてた?

 

「子供」がいなければ、

過去のあの時、胸の思いがストンとした時、僕は離婚していたかもしれない。

君が病むきっかけになった修行旅行の日々も、離婚の二文字は脳裏をよぎっていた。

 

君が病んだ時、治るかどうかもわからない僕は、形だけでもこの家庭を支え、

子供に精一杯できる限りの「円満な家庭」を与えたいと思った。

だからその後も、必死に耐えて耐えて耐えて耐えて、

君からの何げない「当たり前という見下し」からも我慢して我慢して我慢して、

感情がロボットみたいになりながらも、何かさしてやりたくもないことで気を紛らわしながらも、必死にそれまでの日々を過ごしてきた。

 

そして、君と別居して1年がたつね。

もう大丈夫、君は僕がいなくても、

君の両親が支えとなって、これからも生きていけると思う。そして、子供と離れることも1年、元気な姿をみて、つらいこともあるだろうが、

父を恨むこともあるだろうが、もう「家庭」に僕がいなくても、大丈夫だと思った。

 

むしろ、このままもう好きという感情がない中で、君からの「東京で、それなりの仕事に転職しなさい」「英語をやりなさい」という、「それが家庭のため」という大義名分に振り回される日々を続けていたら、きっと僕はダメになる。

だって君のいう「家庭」って「君」でしょ。

たとえそれができても、僕はきっと精神を病むか、いつかは飛び降りるでしょう。

あなたの目指す姿と僕の目指す姿は永遠に重なるはずないよ。

だって僕は「お金」はいくらあっても足りないことをしっているから。

求めたら永遠に「楽しむ時間」なんてものはないんだよ。

ねぇ。君にとって生きるってなに?僕って何?

 

ねぇ、お金がそんなに大事なら、別にここじゃなくて、

当初の大阪でもよかったんじゃない?この場所を選んだのってなんでだったけ?

ねぇ、最初から今もそう、あなたの移り変わる気持ちに、

大義名分という言い訳をつけているだけでしょ?

 

君と過ごした結婚生活は、ごめんなさい。

一時も心の安らぎを感じたことはありませんでした。

きっとそれは「東京」に行けば、

「転職」すれば、「英語」ができれば解消されるものではなくて、

あなたといる限り、永遠に訪れないもの。

子供のためと思えば、それでも頑張れると思っていたけれど、

ごめんなさい。すでに僕がいなくても「子供」は「やっていける」と思えた今、

もう、「君を中心にした家庭」を守るために走り続ける気力は、ありません。

 

むしろ毎日が本当に大変で大変で、押しつぶされそうになりながらも、

必死に普通を貫き通して、無理してもチャカして笑顔で何とかここまでやってきた。

 

「君を中心にした家庭」のために、これを続ける気力はもう僕にはない。

子供という唯一の僕の感情をつなぎとめていた糸も、今では少しづつちぎれている。

仕事というやりたくもないことを頑張り、

帰宅後もやりたくない英語や社団法人関係を君のために、やらなければいけない日々。

生きてるって何だろう。生きるって何だろう。

生に未練があるわけでないけれど、僕のことを大切に思っていない人に、

生を削ることはもう僕にはできない。

生を削れるのは、その人が自分のことを大切に思っているからなんだよ?

 

もう知り合って10年半、

君が本当に僕を大切に思っているかなんて、言葉にせずともわかっているよ。

君は「損得」感情でしか人と付き合えないから。

「得する」人間とは一緒に入れて、

「損する」人間のことは大切に思えない人間だから。

ねぇ、認めたくないと思うけど、思い返すとそのまんまでしょ?周りの人間。

僕は全てをかけられるよ。

僕が君にとって利用価値のない人間になれば、君は僕のことなんて何も思わなくなることを。ねぇ、生きるってなんだろう?

 

だからもう、君と心を通わしたいとも微塵と思わない。

ねぇ、今さらになって心を交わしたいなんて言われも、もう無理だよ。

甘い言葉なんて何もでてこないよ。

この気持ちはね、あのストンとした気持ちとともに、少しだけ残っていた部分も少しづつ自分の中に押し込んで、ひたすら何年も我慢して、さしてやりたくもないことで気持ちを何年もかけて紛らわして、一人で消化してきたの。

 

今さら君の都合のいいタイミングでそんなこと言われても、

僕には応えることなんてできないよ。

 

あなたはあなたの思う「家庭」のためにをこれからも続けてください。

僕はもう無理です。

仮面を被っても、僕はもう「君」を中心にして頑張ることなんてできないよ。

そもそも「離婚してください」という言葉を発した以上、仮面すらもうかぶれないよ。

ねぇ、生きてるってなんだろう?

 

将来の生活に対する不安、寂しさに対する不安、子供に対する不安。

僕もそんなのはあるよ。でもそれを含めても、今はただ、あなたと別れたい。

そして、あなたともう関わりたくもない。

子供だけが少しの心残りだけど、もう仕方がないよ。

 

あぁ、親を反面教師に、必死に暖かい家庭を築きたくて頑張ってきたのにな。

笑える。

 

これからは、自分のことを大切に思ってる人のために頑張りたい。

今は。そんな自分のために。

 

だからいつか一人で寂しくて、

後悔しそうになった時は、この日記を見返してください。

未来の僕が後悔するのは、この時の選択を間違えたとかではなくて、

未来の僕にうまくバトンタッチできる日々を過ごせなかったから。

 

未来の僕は、今日の僕・明日の僕・明後日の僕・全ての日々の積み重ね。

もし、この選択を後悔したくなければ、今すぐに、あなたが思うやるべきことを

やりましょう。明日からでは、何も残せません。少しづつの積み重ねが、やがて取り返しのつかない大きな後悔となって、自分を蝕む。

 

生きたいと思っているなら、やろうか。

死ぬのは、いつでもできる。明日でも、明後日でも。