写真で綴る日常

写真で綴る日常

思いは言葉に。思い出は写真に。

卵巣癌患者親族、先生との通訳立会を通じて

記事にするべきではないと思いつつも、

この出来事を備忘録の一つとして記録していきたい。

 

言葉を一字一句間違えず訳しながらも、

両者が良い関係へと発展するよう言い回しを工夫するのが会社の立場としての通訳としての務め。

社会人歴7年、自分にはその力があると自負して社会を渡ってきた。

 

しかし、人生で初めて経験した医者と患者親族との通訳は、

医者が患者、患者親族への対峙の仕方や、

両者の間にたつ通訳として価値観を再考させるものであった。

 

医療シーンとビジネスシーンでの通訳は違う。

 

卵巣癌、統計では10万人に15人の割合で患う病気。

確率でいうと癌の中でも高くない病魔は、

身近な30代前半の友人におりた。

 

この癌の自覚症状は、進んでからしか出ないことから

大多数の患者はステージ3になって、ようやく病院に訪れることになる。

 

この時点、統計上ステージ3の2年生存率は45%を下回る。

しかし、患者は肝臓内部までの転移が見つかり、

卵巣癌の中では最終ステージであるステージ4。

 

言い回しを工夫せず、淡々と訳す自分にはその意味がすぐに分かった。

実質的な余命宣告を遠い言い回しをして伝えている。

 

はっきりした物言いを好む海外に在住している患者両親から、

すかさず2年の意味の質問が来る。

 

良くても余命は2年。

 

先生の言葉を、言葉を詰まらせながら修飾せずに訳す。

他人に発するこの言葉の重みを、初めて感じた。

 

引き続き、余命に対する各種解釈の質問がくるが、

きっと求めているような明るい回答はかえってこない。

 

そう分かりつつも、

複雑な言い回しや治療法に対する両者の見解をすり合わせながら訳していく。

 

両国の医療知識に疎い自分には、

わからない専門的な言葉がでながらも、

言葉の意味を確かめて訳していく。

 

その中には、患者親族が見聞きした知識と先生側の見解の相違、

患者側の求める希望的観測を望むような質問に対する、先生の事実的な回答。

認めまいと繰り返される質問に対する、

先生側の表情に出さない、親族へ対する、良い方向へいく可能性もあるかもしれないという回答。

その言葉にすがるように表情を良くする親族に対して、

「かもしれない」という言葉を再度訳すかを迷う自分。

 

2時間という長いようで、

患者側にはきっと短か過ぎると感じた時間は、

お互いの気持ちや関係を整理させる内容にできたのかは、分からない。

 

きっとこの先も、治療経過や残される子供、

いろんな問題の解決を計りながら、

2年という時間はあっという間に過ぎていく。

 

この難病に対して、

進んでしまってからは、できることはかなり限られている。

 

ネット社会の今では、各種詳細が記載されているが、

実際の医療現場では、先生にも経験を通じた見解の相違があり、

一概に記載されている情報が正しいとは言えない。

 

時にはネットで入手した事前知識が、

現場の生の声を、理解させるのを阻害させる。

 

ただ、この難病から逃れられる方法は、

いち早く見つけることしかないが、その方法も確かに確率された物ではなく、

この患者は、発症から僅か3ヶ月でここまで進んだ。

 

隣に寝る自分の妻と子供をみて、

大切にして生きていたいと再度思った。

 

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